大判例

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仙台地方裁判所 昭和40年(ワ)448号 判決

原告 大友秀男

破産管財人 石黒良雄

被告 国

代理人 村重慶一 外四名

主文

一  仙台市原町南目字中芳谷地所在の別紙図面(一)記載B、C、D、F、G、Hの土地はいずれも訴外破産者大友秀男の所有であることを確認する。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「一、仙台市原町南目字中芳谷地所在の別紙図面(一)記載B、C、D、E、F、G、Hの土地および同字大隅谷地所在の別紙図面(二)記載Lの土地(以下本件係争地という。)がいずれも訴外破産者大友秀男の所有であることを確認する。二、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

1  本件係争地は法務局備え付けの土地台帳には登載されていない無番地の土地で、土地台帳付属図面(以下公図という。)では二線引き畦畔をもつて表示されているいわゆる土手代とよばれているもので、田と田の間にある畦畔である。右土地は国有地ではあつたが明治初年以来その周囲の田の耕作の便に供されてきたもので、いささかも公用に供されることのない土地であつた。

2  右大友秀男は昭和二五年一月二〇日自作農創設特別措置法一六条一項により、別紙図面(一)記載の仙台市原町南目字中芳谷地二七二番、三二四番の二、二六九番、二六六番、三三八番および別紙図面(二)記載の同字大隅谷地一番の二の各農地の売渡しを受けてその所有者となつたものであるが、それと同時に本件係争地もまた自己の所有地になつたものと信じ、かつそのように信ずるについては過失なく右土地の占有を始め、以後自己もしくは家族の手によつて平穏公然とその占有を継続して来たのであるから、同日より一〇年の経過とともに時効が完成して右土地の所有権を取得したものである。

よつて右大友の破産管財人である原告は被告に対し本件係争地が右大友の所有であることの確認を求める。

と述べ、被告の後記主張事実を否認し、立証として(証拠省略)を提出し(証拠省略)の各証言を援用し、乙号各証の成立を認めた。

被告指定代理人は、「一、原告の請求を棄却する。二、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として

1  第1項の事実中、本件係争地は土地台帳に登載されていない無番地の土地で国有地であつたこと、および右土地が明治初年以来その周囲の農地の耕作の便に供されてきたものであることは認める。その余の事実は否認する。

本件係争地は建設省所管の公共用財産であり、建設大臣から機関委任を受けた宮城県知事が建設省所管国有財産部局長として管理している土地であつて、公図上いわゆる青地をもつて表示され水路として公共の用に供されていたものである。

2  第2項の事実中、前記大友秀男が自作農創設特別措置法により原告主張の各農地の売渡しを受けたことは認める。その余の事実は否認する。右売渡しの日は昭和二二年七月二日である。

本件係争地は公共用の水路であつて行政財産であるからその公用を廃した後でなければ時効取得の目的となり得ないものである。原告主張の時効完成前において本件係争地のうち一部現況が農道になつていたとしても、当時周辺耕作者らの一般通行の用に供されて特定人の専用に供されていなかつたから公共物たる性格に変りはなく、やはり公用廃止の事実がない以上時効取得の目的とはなり得ない。

と述べ、

主張として、

本件係争地は公図上青地として表示された水路の部分と一致しているのであつて、そのうち一部現況が農道となつていたとしても、それは、右水路に土砂が埋まり自然に農道になつたか、付近耕作者らが水路に土砂を埋めて農道にしたとしか考えられない。

そうとすれば、このような農道は付近耕作者らの一般通行の用に供されていたものと認められ、特定人の専用道路として使用されていたとは考えられない。

仮に訴外大友が専らその農道を通行したとしてもそのことから同人がその農道を所有の意思をもつて占有使用していたとはいえない。以上の点から、右訴外大友は本件係争地を所有の意思をもつて占有していたものではない。

と述べ、

立証として、(証拠省略)を提出し、(証拠省略)は不知と答えた。

理由

一  本件係争地が法務局備え付けの土地台帳には登載されていない無番地の土地で、もと国有地であつたことについては当事者間に争いがなく、(証拠省略)によれば右土地は公図上水路として表示されている土地であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、国有地などの公物についてはその公共的性格の故に原則として時効取得の成立は否定されるべきであるが、公図上水路として表示されている国有地であつても、外見上全く水路の形態を具備しておらず、しかも道路や公園などとして公の用に供されていることもなく、現に公共用財産としての使命を果していない場合には、時効取得の成否につき一般の私有地と法的取扱を異にすべき理由はないから、民法一六二条に基く時効取得の成立を妨げないと解すべきである(最高裁判所第一小法廷昭和四四年五月二二日判決参照)。そこでまず、原告主張の時効完成前における本件係争地の自然的形態とその使用状況及び右土地が公の用に供されていたか否かを検討する。

(証拠省略)よれば次の事実が認められる。

本件係争地周辺の別紙図面(一)記載仙台市原町南目字中芳谷地二七二番、三二四番の二、二六九番、三三二番、二六六番、三三八番および別紙図面(二)記載同字大隅谷地一番の二の各土地(以下本件田という。)ならびに別紙図面(一)記載同字中芳谷地三二四番の一、二六三番、三四四番、三九六番の一、同番の二の各土地(以下荘司方田という。)はいずれももと訴外伊達宗基所有の田であつて、本件田は前記大友秀男が、荘司方田は訴外荘司格一がそれぞれ祖父の代から小作していたものであるが、終戦後、自作農創設特別措置法に基き、昭和二五年一月二〇日および翌二六年七月二五日の二回にわたり、本件田は右大友秀男に、荘司方田は右荘司格一にそれぞれ売渡され、以後右両名方において各所有の田として耕作していた。これらの土地はいずれも昭和四一年一月一四日右両名から訴外宮城県に自動車整備工場用地として売渡され、その後地目は雑種地に変更されて現況も田でなくなつているが、宮城県開発公社から右売買の申し入れがあつた昭和四〇年三月当時はなお田として耕作されており、中芳谷地所在の本件田は農道と畦畔によつて合計四五枚の田に仕切られていた。すなわち、別紙図面(一)記載A、I、J、Kの各土地はいずれも右大友方で設けた幅約二メートルの農道(以下私道A、私道Iなどという。)になつていたが、中芳谷地所在の本件田のうち私道Aの北側部分は畦畔によつて五枚の田に仕切られており、また私道Aの南側部分は私道I、J、Kと畦畔によつて碁盤の目のように四〇枚の田に仕切られていた。そして、本件係争地のうち別紙図面(一)記載B、C、D、F、G、Hの各土地はいずれも右の畦畔部分に該当し(以下これらの畦畔を畦畔B、畦畔Cなどという。)、畦畔Dと畦畔Fは前記荘司格一所有の田との境界を為していた。これらの畦畔は、中芳谷地所在の本件田の中を走るその他の畦畔が幅一尺前後の広さであるのに対して、これより幅が広く二尺前後の広さであつた。また、中芳谷地所在の本件田の東側および西側境界は右本件田の南方を流れている川から引かれた幅約三、四尺の水路になつており、これらの水路は右本件田の北側および前記大隅谷地一番の二の南側に接して流れている幅約一間半の暗渠排水用の水路につながつていた。すなわち、本件係争地のうち別紙図面(一)記載Eの土地および別紙図面(二)記載Lの土地はいずれも水路となつていたもので(以下これらの水路を水路E、水路Lという。)、大友方では水路Eから本件田に水を引いていたものである。そして、右のような本件係争地とその周辺の土地の状況は、私道I、J、Kが昭和三六年頃設けられたことを除けば、右大友が本件田を小作していた終戦前から変化なく、右のような状態になっていたものである。この間本件係争地のうち畦畔部分はもつぱら大友方において本件田の耕作の用に供してきたものであり、付近の耕作者らは一般に私道Aを通行していた。ただ、中芳谷地所在の本件田をはさんで南と北に田を有する前記荘司格一が、好意的に大件田の畦畔を通してもらつていたことはあつたが、私道I、J、Kが設けられてからは同人方ではもつぱら右私道を通行していたものであり、また、この付近の土地では慣習として一般に田の所有者はその東側および南側の畦畔を専用するものとされていた。

右認定に反し、本件係争地の全部もしくは一部が現況田になつていた旨の(証拠省略)は前記各証拠に照らして措置できず、ほかにに右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定の事実からすれば、本件係争地のうち、畦畔B、C、D、F、G、Hはいずれも前記大友方において田の耕作の用に供してきたもので事実上公物たる状態を喪失していると同様の状況にあつたものであるから、国有地ではあつても時効取得の目的たり得る土地であつたと認められる。一方、本件係争地のうち水路E、Lは他の水路と接続してその付近の田のかんがいおよび排水用の水路の一部を形成しており、水路Eの部分から田に水を引いていたのが大友方だけであつたとしても、その自然的形態自体からしていずれも公共の用に供されていたことが明らかであるから、これら国有の公共財産については時効取得の目的とはなり得ないと言わざるを得ない。

してみれば、時効取得を原因として本件係争地の所有権の確認を求める原告の本訴請求中、水路E、Lの部分については時効が完成したか否かについて判断するまでもなく理由がないものと言わなければならない。

二  そこで、本件係争地のうち現況畦畔となつていた部分につき右大友秀男の時効取得の有無を検討するに、前記認定の事実および(証拠省略)によれば、大友秀男は、昭和二五年一月二〇日および翌二六年七月二五日の二回にわたり本件田の売渡しを売けると同時に、畦畔B、C、F、G、Hについても自己の所有地となつたものと信じ、以後自己の所有地として昭和四〇年五月頃までこれを自己もしくは家族の手によつて平穏公然と占有を継続してきたものであることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はなく、大友秀男が本件田を自作農創特別措置法により国から売渡をうけたものであること及び本件田と右畦畔の前認定のような位置的関係並にこれを含む本件田の当時の現況及びその使用状況等に照せば、同人が本件田と共に右畦畔も自己の所有地になつたと信ずるのも無理からぬところであるから、同人が右畦畔の所有権も取得したと信ずるについては過失がなかつたものと認められる。被告は、大友秀男には右畦畔の占有につき所有の意思がなかつたものと主張するが、被告の指摘する本件係争地が公図上水路として表示されている事実も、前認定の本件係争地の状況およびその占有、使用状態に徴すれば、右被告主張事実を認めさせるに十分ではなく、他にこれを認めるに足る証拠はない。

別紙図面(一)〈省略〉

別紙図面(二)〈省略〉

さすれば、右大友は遅くとも昭和二六年七月二五日から一〇年の経過とともに時効により右土地の所有権を取得したものというべきである。

三  以上の次第で、原告の本訴請求は別紙図面(一)記載B、C、D、F、G、Hの各土地が大友秀男の所有であることの確認を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤和男 後藤一男 小圷真史)

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